2016_05
30
(Mon)14:51

偏愛する作家たち その9 山田風太郎

やまふう



「偏愛する作家たち」の最後の一人は
山田風太郎です。

(今後は「番外編」として好きな本について書く予定)
 

風太郎は大好きだけどメジャーな作家なので、
取り上げるまでもないかな、とも思いましたが、
自分の記録として。
自分の中で風太郎を超える作家は当分出てこないだろうなあ、
と思うので。

と言っても、
今さら私が特に書くこともないので、
題名を挙げるだけになりそうです。


初めて読んだ山田風太郎作品は『警視庁草紙』。
面白くてぶっ飛びました。
こんなに面白い長編小説は初めて読んだ、と思った。
何という語りの上手さ!
歴史上の人物や事件を交差させる手法にワクワクさせられました。

そこから山田風太郎明治小説全集を読破。

『地の果ての獄』『明治十手架』『幻燈辻馬車』は、
哀切なラストに号泣。
『明治断頭台』のミステリとしての凄さにのけぞる。


そして忍法帖。
どれも面白いけど、特に好きなのは、

『くノ一忍法帖』、『柳生忍法帖』、『魔界転生』 、
『信玄忍法帖』 、『風来忍法帖』、『忍者月影抄』 、
『忍法八犬伝』 、『忍びの卍』 、
『外道忍法帖』(壮大なFinishing Stroke)
『忍法創世記』(牢姫萌え)
あたりですかね~
くノ一、柳生、風来は何度読んでも泣く。



現代物で好きなのは、

『誰にもできる殺人』、『棺の中の悦楽』
『夜よりほかに聴くものもなし』
『眼中の悪魔』、『厨子家の悪霊』
あたり。
『天誅』はバカミスの傑作。


幕末ものの
『魔群の通過』、『修羅維新牢』
はやや異色。でも引き込まれる。


時代物では
風太郎作品の中で、
文学的には一番の傑作かもしれない『八犬傳』。
『妖異金瓶梅』も素晴らしい。


基本「物語」が読みたいタチなので、
エッセイや日記はあまり読んでいないのですが、

『人間臨終図巻』
『秀吉はいつ知ったか』
『風山房風呂焚き唄』
は面白かった。


漫画『バジリスク 〜甲賀忍法帖〜』は良かったけれど、
『Y十M 〜柳生忍法帖〜』はイマイチだったかなあ。
今から『十〜忍法魔界転生〜』は読んでみようと思います。




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2016_05
10
(Tue)13:55

偏愛する作家たち その8 赤江瀑

「一番好きな作家は?」、と問われたら、
赤江瀑か山田風太郎かで迷うところです。

Wikipediaはこちら↓
赤江瀑 - Wikipedia

公式ホームページもできているようです。
赤江瀑 虚空の扉

著作リストを見ると、
単行本未収録の短編がいくつかあるよう。
何と勿体無い…


持っている本(並べ方は適当です(^^ゞ)

2016051011550110e.jpg


その中で好きな装丁のものと、
『幻想文学』の赤江瀑特集号。

2016051011533792e.jpg



ストーリーを追うことが殆どだった私が、
初めて、「文体に酔う」という経験をしたのは
赤江瀑を読んだ時でした。

独自の「美学」に裏打ちされた、絢爛たる作品群。

谷崎、三島、中井英夫の流れ、と言われるように、
耽美小説的な面もあり、ミステリ要素もありますが、
短編ひとつひとつの内容がとにかく凄まじく濃い。

皆川博子が、
「私はすでに、赤江瀑の阿片に侵された者である」
と書いているのが、赤江ファンの心理そのものだと思います。

皆川さんは、赤江氏が亡くなった時に
追悼文も書かれています。



飛び続ける想像力の矢

あまりに急な訃報で、整然とした追悼文を記す心のゆとりが、私には、ない。赤江瀑さんが、今月8日、79歳で亡くなられた。いつも〈赤江瀑の新作〉を待っていた。先に長く続くと思っていた道が、突然、断ち切られ、断崖になった。そんな気持ちだ。

虚空に、一矢を放つ。その空間が小説なのだと、赤江さんはかつて、泉鏡花の言葉をエッセイに記しておられた。鏡花はさらに嘆じる。「矢を手に持って、地に足をすりつけ、的まで運ぶ小説ばかりだ」と。明治大正の文壇は、自然主義が圧倒的に主流をなしていた。議論は苦手な鏡花が、痛々しいほどに激しく、想像力の飛翔こそ、小説だと主張したのである。赤江さんがデビューされたころ、小説界はまさに鏡花の嘆きに通底する状況だった。リアリズムでなければ通用しなかった。赤江さんは、ただ一人、虚空に華麗な矢を放った。

赤江瀑の短編が発表されるごとに「一つの事件になる」と表現したのは、唐十郎氏だったと思う。1970年、短編「ニジンスキーの手」が小説現代新人賞を受賞、その後、たてつづけに「獣林寺妖変」「禽獣の門」「殺し蜜狂い蜜」が掲載された。いずれも、短編といっても百枚前後の力作である。美という魔に憑かれたものたちを、赤江瀑は顕然させる。リアリズム以外は理解できない、という者は、赤江瀑の魔に気づかず通り過ぎる。しかし、意識するしないにかかわらず、同じ波長を感性に持つ者は、鷲づかみにされる。取り憑かれる、と言ってもいい。

赤江瀑を透して向こうを見ると、外界が歪むのである。そうして、歪んだ情景が心地よくなる。そこに身を添わせていたくなる。石灯籠は灯が入ると「優雅で、凛々(りり)しい気品にみちた、雄渾(ゆうこん)な」姿に一変する。熱帯魚の飼育槽が、アマゾン流域の原始林に変貌する。屏風(びょうぶ)の縁にとまった儚(はかな)い蟋蟀(こおろぎ)が、ふっと、人を無の世界に迷い込ませる。

二百数十編の短編と十二編の長編小説を遺(のこ)した赤江瀑の作品群で、傑出した最高の作は、「海峡 この水の無明(むみょう)の真秀(まほ)ろば」であると、私は断じる。これは、エッセイだが、身辺雑記とはまったく質を異にする。ここに描かれる腐爛(ふらん)魚を解体する地下室。あるいは、流れる水が肉体を持つと感じる瞬間。水と肉体の交感。その描写、その感覚は、時を超え、世代を超え、未来のいつであろうと、古びることはない。

肉体は滅しても、赤江瀑が中空に放った矢は、新しい読者を誘い続ける。

(朝日新聞2012.6.26)




中井英夫が、
『虚無への供物』で氷沼紅司を「詩世紀」の同人に擬したのは、
赤江の詩に惹かれてのことだった、と記してたのにも驚いたものでした。
(赤江氏自身は否定されていますが…)

もし興味を持った方がいらっしゃいましたら、
電子書籍化されている作品もありますのでぜひ。
(『八雲が殺した』『正倉院の矢』など)




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2016_04
17
(Sun)08:08

偏愛する作家たち その7 日影丈吉 (※追記あり)

大分間が空きましたが、
「偏愛する作家たち」、まだ続きますm(__)m

今回から日本の作家。
以前の猫の泉という記事でも書いた、
日影丈吉です。

Wikipediaはこちら↓
日影丈吉 - Wikipedia

河出書房新社の日影丈吉選集を揃えた後になって
国書刊行会の日影丈吉全集が出たのですが、
非常に高価なのもあって、長編を収録した3巻までしか買っていません。

まだコンプリートできていないので、
全集のコンパクト版が出ないかと、
強く願っております…


2016041411213991a.jpg


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ミステリ、幻想小説と分類される日影丈吉の作品群は、
至福の読書体験を与えてくれます。
現実と妄想のあわいにいるような作者は、
中井英夫と同じような幻視者であろうという気がします。

長編ではやはり
『応家の人々』『内部の真実』『女の家』が素晴らしい。
特に『応家の人々』の、
台湾のねっとりした暑さが纏わりついてくるような
けだるく官能的な描写は強烈な印象を残します。
『夕潮』のある種バカミス?的な動機には驚かされました。

作者の美意識に彩られた短編もどれも面白い。
「猫の泉」、「夢の播種」は何度も読み返しています。

「ひこばえ」の中の描写、
「いま顔と言ったが、たしかに家には顔がある。ゆったりとからだをひらいて顔を見せているのもあれば、目を閉じ口を結び見られるのを嫌がって、しかめ面をしているのもある。」
というところで戦慄し、その後の展開には鳥肌が立ちました。


「旅は道づれ」の中の
「夜中に廊下を歩くのは、外人客の少女に意外に多い夢遊病者(ソムナンビユリスト)ぐらいなものだが、それも静かにうろつくだけ。」
という描写も何故か好き。


(※追記)
須永朝彦が日影丈吉について書いた文章がありました。

須永朝彦 給仕少年(ギャルソン)の推賞献立(メニュー)
(他にも三つの短文が載っています)




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2016_01
13
(Wed)13:13

偏愛する作家たち その6 R・A・ラファティ

このシリーズ?初めてのSF作家です。

プロフィールはこちら;
R・A・ラファティ - Wikipedia


SF界のホラ吹きおじさん、と
も呼ばれるR・A・ラファティ。

初めて読んだのは、
ジュディス・メリル(編)『年間SF傑作選』に
収録されていた「恐怖の7日間」だった。

(余談ですが、同じく印象に残っているのは;
コードウェイナー・スミス「シェイヨルという星」、  
ロアルド・ダール「廃墟にて」
ウイリアム・バロウズ「おぼえていないときもある」 
ロバート・F・ヤング 「たんぽぽ娘」
etc.)

その後『九百人のお祖母さん』を読んで感激し、
「これぞ究極のSF!」と思い込む。
大学時代の友人に「読んでみて」と貸したところ、
「私にはよくわからなかったけど、
○○ちゃん(私です)が好きなのはわかる気がする」と。
その友人の優しさに泣いた。

ユーモラスで奇想天外、寓話的とか神話的
とも言われるラファティの短編を
愛してやまないのだけれど、
悲しいことに、長編は難解で読みこなせないのだ…
(唯一『地球礁』だけはワクワクするほど面白かった。
『イースターワインに到着』と
『トマス・モアの大冒険』は途中で挫折…)

そういうわけで、「ファンです」と名乗るのは
おこがましいのだが、
ラファティを読んだ時の高揚感、至福の読書体験は
他の作家では味わえないものだったことを
自分の記録として書いておきたかったのですm(__)m


短編集。

20160113131138088.jpg


SFマガジンと長編。
今は貴重なサンリオ文庫の『イースターワインに到着』は紛失(´;ω;`)ウッ…
『地球礁』の表紙のアンソールの絵がいい感じ。
『宇宙舟歌』『第四の館』『悪魔は死んだ』『蛇の卵』は
持っておりません。

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2015_12
24
(Thu)13:13

偏愛する作家たち その5 ロバート・コーミア

決してハッピーエンドではないけれども、
鮮烈な印象を残す。
ロバート・コーミアはヤング・アダルト小説家として
知られているようですが、
小説の上手さ、ミステリ的な面白さもあり、
ジャンルにとらわれずに読んでほしい作家です。

作家についてはこちら↓

ロバート・コーミア - Wikipedia

ただこのWikipediaにあるような、
「厭世的」というのはちょっと違っていて、
『果てしなき反抗』のあとがきにあるように
「リアリスト」なんだと思う。
ほろ苦い結末ではあっても、
しっかりとそれを見守る作家の暖かい目があり、
どこか「希望」を感じる。

一部のアメリカの青春映画から感じる、
「透明な悲しみ」がある。

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『ぼくの心の闇の声』は
表紙の絵が好きではないので載せていませんが、
作品はとても良くて、好きです。
『わたしたちの鳴らす鐘』は残念ながら未読。

小説の面白さとしては、
スティーブン・キングが絶賛したという『フェイド』が
おススメでしょうか。


作品リストを載せておきます。
8作品しか翻訳されていないのは惜しい!

【ロバート・コーミア 作品リスト】

•Now and At the Hour (1960)
•A Little Raw on Monday Mornings (1963)
•Take Me Where the Good Times Are (1965)
•「チョコレート・ウォー」 The Chocolate War (1974)
•I Am the Cheese (1977)
•「ぼくが死んだ朝」 After the First Death (1979)
•The Bumblebee Flies Anyway (1983)
•「果てしなき反抗」 Beyond the Chocolate War (1985)
•「フェイド」 Fade (1988)
•「わたしたちの鳴らす鐘」 Other Bells for Us to Ring (1990)
•We All Fall Down (1991)
•「ぼくの心の闇の声」 Tunes for Bears to Dance to (1992)
•「真夜中の電話」 In The Middle Of The Night (1995)
•「心やさしく」 Tenderness (1998)
•Heroes(1998)
•Frenchtown Summer(1999)
•The Rag and Bone Shop (2001)



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